辞めた後はどうなりましたか?
後悔したことはありますか?
こういったご質問↑ にお答えします。
私は自動車関連の大企業(大手メーカー)に約 8年間、エンジニア(技術者)として勤めた後、家業を継ぐため退職しました。
私のプロフィールはこちらをご覧ください。
大企業を辞める決断をした時には、周囲の人から口々に「もったいない」というニュアンスのことを言われたことを思い出します。
確かに大企業に勤務している従業員の中で、定年まで勤めずに辞める人はほんの一部です。
誰でも一度は「会社を辞めてやる!」「転職してやる!」と考える時期はあるけれども、給料などの恵まれた環境と自分の我慢とのトレードオフだと考えて、結局は会社に残ります。
さて、今日はそのような中なぜ自分が大企業を辞めたのか、包み隠さずにお話ししたいと思います。
今大企業にいて辞めようか迷っている人は必見です!
辞めた後どうなったか? 退職後のことについてもお話ししますね。
なお、辞めた人間としての意見なので、大企業の望ましくない点に目を向けた見方になっていますが、大企業にはメリットもたくさんあります。
これから述べる私の意見は、あくまで1つの参考として捉えて頂ければと思います。
どうぞお付き合い下さい!
退職させてもらえない! その引き止め理由と在職強要へ対抗する方法
大企業で働くことのメリット・デメリット、辞めて5年以上経って思うこと
目次
僕が大企業を辞めた理由、辞めた後に家庭崩壊し後悔したこともある
詳しくは後述しますが、私が大企業を辞めた理由は以下の2つです。
●出世コースを歩むことが難しそうなこと
自分の人生に焦りを感じて、大企業を辞めて家業を継ぐ選択をしました。
辞めて転職した直後は、色々とあり夫婦仲が悪くなり後悔したこともありました。
大企業(大手メーカー)への新卒での入社
ざっと会社に入る前のことをお話しします。
大学は工学部でした。大学院まで進み、会社には技術系のホワイトカラーで入社しました。
エンジニアですね。
学部生時代の4年間は、全然勉強せずに超テキトーに過ごしていたため、留年の危機にもさらされていました。。
大学院に入ってからは、さすがにまずいと思い心を入れ替えて研究に浸りましたが、大学と大学院の 6年間のうち本気で頑張ったのは半分弱ぐらいの期間ですかね。
さて、新卒で就職した大企業(大手メーカー)のことをよく知るようになったのは、大学院1年生のときです。
その会社の人が大学院の講義の特別講師として招かれて来たのです。
その講義を受けた時にその会社の技術力の高さに惚れ込み、絶対この会社に行きたい! と思うようになりました。
また、自分が研究室で担当していた研究テーマも活かせそうだと感じていたことも、志望動機の1つでした。
就職難の時代ではありましたが、学校推薦制度で難なく入社することができたので、ある意味幸せな学生時代だったのだと思います。
先に書きましたとおり、技術系の総合職(ホワイトカラー)での採用でした。
大手のメーカーに入社してくる技術系の総合職(ホワイトカラー)の多くは、自分と同じように大学院卒の新卒採用です。
大企業(大手メーカー)に入社してからのこと
研修後配属
入社してすぐの頃は、まだ社会のことも何も分からないし、とりあえず頑張って働こう! と思っていました。
自分と同じ総合職の同期は 160人くらいいたと思います。
最初の半年間の研修を通じて色んなことを経験し同期とも仲良くなれましたが、正直大人数で何かやることがたるいとも感じていました。
思えば、学生時代から大勢で同じことをやることを気が進まないと感じていたように思います。
学部生のときに、飲み会やキャンプなどをして遊ぶサークルに 4年間いましたが、途中でたるく感じるようになり最後の 1年半ぐらいは惰性で在籍しているだけになってしまいました。
(じゃあ、辞めろよって感じですよね。)
さて、新入社員は入社後半年間の研修が終わった後、それぞれ部署に配属されて行きました。
配属先の希望が通らない人も多い中、私は希望通りの部署に行くことができました。
これもまた恵まれていたのかも知れませんね。
自分は仕事そのものを楽しみたいタイプだった
部署に配属されてからは、スキルを身につけるため必死になって働きました。
製図、プログラミング、実験、、、どれも技術者の仕事です。
新人の頃は分からないことが多すぎて仕事ができずに周囲に迷惑をかけることも多かったですが、年数を重ねて 3年目のときに仕事のコツを掴んだかな! と感じたのを覚えています。
若い時期は技術にどっぷり浸かっていましたが、徐々にプロジェクトの遂行などのマネジメント的なことにも携わるようになっていきました。
さて、社会人になってから分かったことは、自分は仕事が好きな人間であるということです。
仕事と趣味どっちが大事か? と聞かれれば、間違いなく仕事でした(今もそうです)。
自分だけでなく、その会社の従業員は、どちらかと言えば仕事重視の人が多い印象でした。
仕事が好きな人間にとっては、仕事のやりがいはとても大事です。
失敗して上司から怒られることも多かったですが、徐々に色んな経験とスキルが身に付いていくことが楽しく、仕事そのものにはやりがいを感じていました。
週末はよく遊んだ
会社に入ってから 20代の頃はよく遊びました。
平日は夜遅くまで仕事して、金曜の夜は同僚と飲みに行き、土日は合コン。
こんな感じの生活を送っていました。
平日遊べない分、土日に爆発するのです(笑)
仕事のこと以外は女の子と遊ぶことしか考えてなかったように思います(苦笑)。
そういうところは、どこにでもいる普通の 20代の男でした。
29歳の時に妻となる女性と出会うまでは、ハンターのごとく色んな女性に目を光らせていました。
ちなみに、結婚は 30歳のときでした。
人生を考えての決断
30歳から人生本気で考えるようになる
さて、20代の頃は仕事を頑張りつつ思い切り遊ぶ生活を繰り返していたわけですが、30歳になってから徐々に焦りが出てきました。
何に対する焦りかと言うと、他ならぬサラリーマンであること。
エンジニア(技術者)としての仕事そのものは楽しかったのですが、サラリーマンである限り何年経ってもどこまで行っても使われる身です。
自分の裁量を発揮できません。
社内では、一度上下関係ができてしまうと、一生そのままです。
また、大企業であるがゆえ、自分の頑張りが業績にどう反映されているか? さっぱりわかりませんでした。
たまに上司から自分の仕事をほめられてもピンと来ません。
高い給料と恵まれた福利厚生のために、一切の不満を我慢しなければならないという環境に対する不満が積もっていきました。
元々持っていた独立志向
元々独立したいという気持ちも持っていました。
例えば「ラーメン屋をはじめる」というように具体的に何かをやりたい! という願望があったわけではなく、独立して自分の裁量で働くという環境に対する憧れが強かったです。
ちょうどその頃起業ブームだっこともあり、起業家の本やビジネス雑誌をよく読んでいました。
(結果的には独立ではなく、家業を継ぐ選択をしたわけですが。)
自分の特性として、使われる身である以上、組織で起こることを自分事として捉えられないようです。
会社の方針とか聞いても他人事感が半端じゃないし、人が決めたことに従って動くのも嫌でした。
今思うと、組織で起こることを自分事と捉えて行動できる人が出世するのだと思います。
周りと同じなのが嫌だった
会社の人はいい人が多かったです。
しかし、従業員が4万人もいるのにその会社の社風という1つの価値観に染められていました。
まぁ、当然といえば当然のことですが。
保守的なタイプの人が多く、どこを切っても金太郎飴みたいに同じような人ばかりなのも嫌でした。
朝の通勤ラッシュ時に、凄い数の人にまみれて本社の門を通る時には「あ〜 オレも one of them」なのかって
げんなりしたのを覚えています。
他の人には失礼ですが。。
出世できる可能性が低いと感じた
あと、自分は出世できる可能性が低いとも感じていました。
偉くなりたいという気持はありませんでしたが、ただサラリーマンがかろうじて自分の裁量を発揮するためには、出世しなければならないことは分かっていました。
正しいことをしたければ偉くなれ! ってやつです。
しかし、私は最初の昇進のタイミングである係長に、第一線で上がることはできませんでした。
部署の中に係長の候補者が多く、かつ上が詰まっていたことが原因でした。
同じ部署内の人当たりがよく八方美人なタイプの同期は、その難しいタイミングでうまく昇進できていました。
偉い人に気に入られる人間が出世しやすいことは間違いありませんが、私はそうやって人に取り入るようなことがどうしても嫌でした。
仕事の能力が周りと比べて劣ると感じたことはありませんでしたし、そう言われたこともありません。
しかし、偉い人に気に入られるための努力をしたいとは思いませんでした。
それができる人は、努力としてではなくまるで本能のレベルでやっているように見えました。
昼食の時間に食堂で上司と近くの席に座る、プライベートでも上司と付き合いを持つなどして。
自分は2年間続けて係長への昇進を逃したことで頑張る気が無くなってしまいました。
(係長への昇進で多少出遅れてもまだ全然挽回の余地はあるようですが。)
●出世コースを歩むことが難しそうなこと
これらの理由↑ で会社を辞める決断をしたのでした。
この時 33歳、あと数ヶ月で34歳になろうかという時期でした。
出世で見切りを付けるタイミングとしては早いと思います。本当に出世コースを歩めるかどうかは 30代後半から40歳にかけて決まります。
私の場合は、見切りをつけて出世競争が本格化する前に敵前逃亡することにしたのでした。
家業を継ぐことにしました。
大企業を辞めた時期の反省点は、家族のことをあまり考えていなかったこと
私の反省点になりますが、家族のことを度外視して会社を辞めてしまったことはまずかったと思います。
妻と結婚したのは 30歳のときで、会社を辞める決断をしたのが 33歳のときです。
妻はまさか私が会社を辞めると言い出すなんて思っていなかったようです。
ちょうど子供が生まれて1歳になる頃だったので、家を買って子育ての環境を整えたいと考えていたようです。
会社を辞めると言ったときはかなり揉めました。
今考えれば当然ですよね。せっかく大企業にいて安定しているのにそれを捨てるなんて言ったら。
また、これから子供のことを考えてなければならない時期に旦那がそんなこと言い出したら。
私の言い分は「オレの一生を棒に振りたくない」ということで
妻の言い分は「家族のことを考えてほしい」というもの。
完全に夫婦のベクトルが、ずれていました。
最終的には押し切る形で辞めてしまったわけですが、これが更なる夫婦の危機に繋がるのでした。。
あ、あらかじめ言っておきますと、あのときから5年以上の月日が流れた今現在、私は家業の自営業を営んでおり、夫婦関係も良好で平穏な日々を送っています。
ただ、大企業を辞める前後は本当に大変でした。。
大企業を辞めた後のこと・家庭崩壊の危機
妻とうまく行かない時期
さて、大企業を辞めてから地元に引っ越して家業を継ぐことにしたわけです。
新しい職場で仕事を覚え、実績を出すために必死になって仕事しました。
資格を取らなければならない業種なので、毎日仕事の後は勉強タイムでした。
仕事の後、家に帰ってご飯を食べてからまた家を出てファミレスなどに勉強しに行く生活を送っていました。
家族の時間は1日2時間も無かったと思います。
そんな生活を 7ヶ月ほど送ったところ、妻の方に限界がきました。
ちょうどそのときお腹の中に2人目の子供を妊娠しており、1歳の子の面倒も見なければならず妻の負担は大きかったです。
また、引っ越したばかりということもあり、知り合いもいません。
そんな中、旦那は全然家にいないわけですから、今思えばそりぁ気が滅入ると思います。
申し訳なかったです。
そんなこんなで、夫婦仲は悪くなり、2人目の子を里帰り出産するために妻が実家に帰ったときに、もう戻りたくないと言われました。
そして数ヶ月の別居生活をすることになったのでした。
私も帰りたくないと言う妻に対して腹を立てていました。
自分は自分で捨ててしまったものの代償として、新しい環境で頑張って家族を幸せにしたいと思っていたわけです。
・このような思い↑ があるのに戻りたくないなんてひどすぎる!
・そんなに大企業にいたときの生活が良かったのか?
・大企業を辞めた自分には用はないのか?
このように↑ 感じていました。
しかし、それは私の勘違いであることが話しをしていくうちに分かってきました。
妻は私が大企業の従業員でなくなったことが嫌だったわけではなかったのです。
私が新しいことに挑戦することで、自分自身のことしか頭になくなり家族を放っておいたことが嫌だったのだということが分かり我に返りました。
その後、話し合いを重ね徐々に歩み寄りまた一緒に生活するようになりました。
月日が流れ、今現在は何ごともなかったように平穏な日々を送っています。
幸い、家業の調子も良く、大企業にいた頃よりも収入はアップしています。
さて、私は自分の都合ばかり考えて行動に移した結果、家族に大きな負担をかけてしまいました。
ですので、自分の経験から言えることは
家族のことをしっかりと考えた上で行動しましょう
という、ある意味当たり前のことです。
特に、妻とじっくりと話しをすることが大事です。双方が納得するまで何回でも話し合ってから行動に移しましょう。
夫婦のどちらかだけが一方的に我慢している状態は、本当によくありません。
後悔した時期もある
このような夫婦間のトラブルもあり、大企業を辞めたことを後悔した時期もありました。
自分が我慢してさえいれば、このようなトラブルは無かったのではないか? と。
ただ、そう思っても過去に戻ることなどできませんので、行動に移したからには何とかしてそれを正解に変えなければいけません。
そういう覚悟を持たなきゃダメです。
まとめ
私が大手メーカーを辞めた理由と辞めた後どうなったか ということを包み隠さずに書いてみました。
当時の私と同じように大企業で働き続けることに迷いを感じている人もいると思います。
そんな方々に向けてのメッセージはこちらの記事↓ に書きましたのでよろしければどうぞ!
私は辞めて正解だったと思っています。しかし、今でこそそう思えるけど先にも書いたとおり後悔していた時期もあったわけです。
今迷っている人は十分に考え抜いて頂きたいと思います。
家族がいる人は、納得いくまで話し合って頂きたいと思います。
辞めたら後戻りはできません。どちらが正解ということもありませんが、ただ一生を左右し得ることなので時間をかけてゆっくりと決めて頂いた方が良いでしょう。
退職させてもらえない! その引き止め理由と在職強要へ対抗する方法
大企業で働くことのメリット・デメリット、辞めて5年以上経って思うこと
会社を辞めたくなったら選択肢は総合的な判断を
私の場合はもう選んだ道を突き進むしかありません。
ただ、当時の私と同じように出世コースを外れそうだから会社を辞めたいと考えている方には、総合的に選択肢を検討して頂きたいと思うのです。
私は最終的には会社をとにかく辞めたくて、家業を継ぐ選択肢の一辺倒になりました。
大きな組織で働くことそのものが嫌になっていたのです。
異業種へ移ったこと、そして難関国家資格を取得する必要があったことから大変な苦労をしたのは先に書いたとおりです。
その経験から、移る業種や職種は現状と近い方が色々とスムーズだと思っています。
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