そういう場合もありますし、そうではない場合もあります。
私は、大企業(大手メーカー)で8年間ホワイトカラーのエンジニアとして勤めた後に辞めて、現在は家業を営んでいます。
大企業のホワイトカラーは、ほぼすべての人が有名大学卒でした。
一方で工場などの現場で働くブルーカラーは、皆高卒でした。
今日は、私が大企業の中で経験したことに基づいて、高学歴であることと仕事ができる・できないの関係についてお話しします。
就職・転職で大企業を考えている方は必見です!
目次
高学歴の人は仕事できる? 仕事できない? 大企業での経験で感じたこと
大企業で見てきた仕事ができる人
研修期間の工場実習で分かったこと
大企業に入社してすぐに2ヶ月間、工場実習がありました。
現場の人たちに混ざって、製造ラインで作業をした経験はとても貴重です。
まず分かったことは、仕事ができるようになるためには経験が必要という当たり前のことです。
自分は大学院卒なのに、何にも仕事ができません。
一方で高卒で現場経験が長い人たちは、バリバリ仕事をこなしておりました。
そのときに聞いた話だと現場の人の間でも仕事ができる・できないには差があるようでした。
今思えば当然のことですが。
夜勤で深夜に班長の人と喋りながら作業しているときに、その人が
って言ってるのを聞いて、「仕事が早い」っていうのはできるってことか! と、やはり人によって能力の差があるのだということを認識しました。
失礼な言い方ですが、一見誰がやっても変わらないように見える現場仕事にも、仕事ができる・できないの差が出るのです。
出身大学の偏差値と仕事の実力
研修が終わった後に、私が配属された部署は自動車部品の設計・開発を担当する部署でした。
色んな人と一緒に仕事しましたが、超人的に仕事ができる優秀な人が一人いました。
その人の出身大学の偏差値は 50くらいで、その会社のホワイトカラーの中では決して高くはありませんでした。
東大、京大をはじめとした旧帝大出身者、他にも名がある大学出身の人ばかりだったからです。
東大出身の人と一緒に仕事したことがありますが、実力は普通でした。
身をもって経験したことから、間違いなく言えることは、
大学の偏差値が高いからと言って仕事ができるとは限らないし、逆に低いからと言って仕事ができないとも限らないということです。
要はその人次第ということです。
「勉強ができる」と「仕事ができる」の違い
「勉強ができる」というのと「仕事ができる」というのは違います。
では、どう違うのか?
以下のような違いがあると考えます。
●勉強は自分一人で完結するのに対して、仕事は必ず他人が絡む
●勉強は同じ問題があるのに対して、仕事には同じ問題はない
●学生時代の勉強では論理的思考力は身に付かない
1つ1つ説明します。
勉強は頭の中だけで行うことであるのに対して、仕事は頭と身体で行うもの
机上の勉強は頭の中だけで完結しますが、仕事はそれでは絶対に成り立ちません。
ホワイトカラーでもブルーカラーでも必ず身体を動かさなければならないからです。
電話したり、人と話したり、作業したりとやることは無限にあります。
社会人になったばかりの頃なかなか仕事に慣れず、勉強だけやってれば良いならどれだけいいんだろう、ってよく思いました。
学生時代にやってきたことでも、バイトなど社会を垣間見る経験がモノを言います。
もちろん社会人が勉強しなくて良いと言っているわけではありません。
勉強は必要ですが、勉強だけではダメです。
仕事には行動力が必要なのです。
勉強は自分一人で完結するのに対して、仕事は必ず他人が絡む
机上の勉強は自分一人の問題ですが、仕事は必ず他人が絡みます。
会社の事業というのは、それなりの規模があるからです(中小・零細企業であっても)。
自分一人で何とかなる気になっても、他人がそう思えなければ次に進めないこともあります。
ミーティングで議論を交わして、双方納得の上で今後の方向性を決めたり
自分が計画したことを、他人に依頼して実行してもらわなければならないケースは山ほどあります。
仕事にはコミュニケーション能力、調整力が必要なのです。
勉強は同じ問題があるのに対して、仕事には同じ問題はない
机上の勉強の場合は、テキストがあり問題集があります。同じ問題を何回も解く経験をしたことがあるでしょう。
それに対して仕事の場合は、単純作業を除き全く同じ問題に遭遇することはありません。
仕事の各々の局面での課題や納期、関わる人などは違います。
自分の経験を元に応用を利かせなければなりません。
そういう意味でも、経験値は必要ですし、応用力も身に付けなければなりません。
机上の勉強では、仕事に必要な応用力は身に付きません。
仕事の中で身に付けるしかないのです。
学生時代の勉強では論理的思考力は身に付かない
応用力に関係することとして、論理的思考力というものがあります。
論理的思考力とは「こうだからこう」と理屈で物事を考える能力です。
ロジカルシンキングと言ったりもします。
これは、どんな業界のどの職種でも必要なことです。
仕事はやることが多すぎるからです。
・計画作成
・実験、シミュレーション(エンジニアの仕事)
・資料作成
・顧客報告
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あげれば切りがありません。
こういった様々なことを実行する中で、各々の業務を関連付けたり、上役への報告のタイミングを考えたり、関係者の利害関係を考えたり、顧客に言っても良いこと・ダメなことを考えたりと四六時中頭を使います。
机上の勉強では、論理的思考力というのはなかなか身に付きません。
大学の講義でもディベートを取り入れたものがあれば別ですが、座学では難しいでしょう。
仕事の中で自分の考えが甘いことを何回も痛感しながら、徐々に身に付けるしかないのです。
誰でも鍛えれば論理的思考力はアップすると思いますが、役員になるぐらいの人だと元々のセンスも持ち合わせているように思います。
論理的思考力の身に付け方ということについては、こちらの本↓ が参考になります。
なぜ大企業のホワイトカラーは高学歴を採用するのか?
私自身もホワイトカラーとして大企業に入社しました。
一応旧帝大の大学院卒です。
先にも書きましたが、大企業のホワイトカラーはそういう経歴の持ち主ばかりです。
学生時代にサークルをやっていたときに、他の大学の学生と共に活動しました。
イベントを考えて実行して皆で盛り上がるという、学生ならではものではありますが、色々と議論したり段取りを組んだりすることがありました。
そういった活動の中では、特に自分の大学の学生が優れていると感じたことはありませんでした。
バイトでもそうです。
飲食店などで他の学生とともに仕事しましたが、旧帝大の学生であることで優位性を感じたことはありませんでした。
それでも、就職活動では有名大学卒であることを評価して大企業に入社できるなんて、なんて有難いんだ! と当時は思っていました。
なぜ、大企業のホワイトカラーは高学歴の人ばかりを採用するのでしょうか?
おそらく「ハズレが少ない」からだと思います。
勉強ができることではなく、これまで勉強という一つのことに真面目に取り組んできたことを評価しているのだと思います。
社会人になってから必要な能力もしっかりと身に付けようとするであろう、という考えです。
(学生時代は正直言って、皆サークルもバイトもそれほどは真剣にやっていません。)
まとめ
高学歴だからと言って仕事ができるとは限りませんし、できないとも限りません。
要はその人次第ということです。
机上の勉強以外に、どれだけ仕事に必要な能力を身に付けているか、にかかっていると言えるでしょう。